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院長の雑談-私のニックネームは-
私のニックネームは小さい頃からいろいろと変わってきた。名は眞と書きマコトと読む。4小さい時代はまこちゃんで始まり小学校ではマコチン中学ではエンデンになり高校を出て数年は素直にシオタで過ごしてきた。
わが母親は与謝野晶子の末のお嬢さんと共に桃井第二小学校を卒業する。その時の1年後ずー協をした方で、杉並区の区議をやっておられた。その方のバックが市川房江女史だった。身軽な方で丸ノ内線の出口まで迎えに行ってもお一人でにこやかに現れるおばあちゃまだった。
言うまでもない彼女は日本の女性を人間の女性とした方で、平塚らいてふ(雷鳥)さんの仲間だった、そして平塚雷鳥さんの女性運動に力を貸したのが、森鴎外である。
話はまだ続くのだが、それは後にして選挙の時の事務局には多くの若者が集まった。その集まりの中で、自己紹介を聞きながら折り紙でハトを作っていたのが私で、市川女史は羽をパタパタさせるハトの折り紙を見て、名前を覚えるのは面倒と、私にポッポちゃんとニックねえーむをつけてしまった。その後このポッポちゃんには山ほど救われる事になる。しばらく市川さんとのふれあいの後、私は勉強のために日本を出てしまった。
その後に市川事務所に入ってかき回したのが菅元首相である。その昔は二院クラブと言って青島幸雄や中山千夏だったかが所属したところだ。
さて海外での生活で英語で自己紹介をすると覚えてもらえない、ところがニックネームはぽっぽだと言うと一発で覚えてもらえる。23歳の終わりからニックネームはポッポとなった。 (さらに…)